この特設サイトのインタヴューで本人たちも話しているように、15枚目のニュー・アルバム『Stayin' Alive』でフラカンは、曲の作り方を変えた。年数にして15年ぶりくらい、アルバムでいうと2000年リリースの6thアルバム『怒りのBONGO』以来、ということになる。
その、曲の作り方を変えたことが、曲調やメロディやアレンジや演奏の変化以上に大きな、それはもう大変に重要なことを、このアルバムにもたらしている。歌詞の深化だ。作曲方法の変化によって、これまでと違う言葉のアウトプットのしかたを迫られたことが、言葉の面で、これまで開けられなかったドアを開けた、という結果になっている。狙ったわけではなく、結果的にそうなったのだと思うが。
基本的に、歌っていることは変わっていない。「歳はとるぜ 汚れてくぜ いつか死ぬぜ 神様はいないぜ」と、どうしようもない真実を、シンプルにもほどがあるストレートな言葉で歌った"東京タワー"から14年。それ以前も、それ以降も、フラカンは、鈴木圭介は、基本的にずっとそういうことを歌ってきた。きたが、このアルバムにおける言葉たちの重さ、鋭さ、直接性、リアリティなどは、過去の作品たちの比ではない。

ある程度歳をとれば、経験を重ねれば、生きていくことに慣れれば、もうちょっとなんとかなるもんだと若い頃は思っていた。いろんなことがわかったり、いろんなことを知ったり、いろんなことを体験したりしていくことによって、何か大事なものを持つことができたり、人生の意味がなんとなくわかったり、ある部分ではあきらめたり、でもそれで気持ち的に落ち着くことができたりして、日々もうちょっとマシな気分で暮らせるようになるもんだと期待していた。大間違いだった。何も変わらない。何もわからない。いや、それなりに歳を食って、経験も積んだり知識も増えたりした上で変わらないしわからないわけなので、より悪くなっている、とも言える。でも、しょうがない。それが現実なので。ということを、こんなにリアルに表現できているロック・バンドのアルバムを、僕は他に知らない。

「現実ばっかで吐きそうだって 自分ばっかで泣きそうだって 被害者ぶってて倒れそうだって このまま自分を壊しそうだって」(short hopes)
「肝心な事はいつだって 自分の中にはない 大事な事はいつだって 自分の中にはない 斬新な事はいつだって 自分の中にはない 本当の事はいつだって 頭のなかではない 頭の中にない」(地下室)
「当たり前にある 暮らしはどうして 当たり前には 出来ないんだろう?」(祭壇)
というフレーズを、10代や20代の聴き手がどう聴くのか、どう理解するのか、正直、僕にはわからない。わからないが、フラカンよりひとつ歳上の僕には、そのどれもがいちいちものすごく刺さる。そして、これまでフラカンを聴いてきたファンはもちろん、フラカンのことをずっと知ってはいたけど、さして熱心に聴いていなかった人たちにもぶっ刺さる可能性をとても持っているアルバムだと思う。聴くとびっくりするのではないか。「えっ? あれ? こんなにいいバンドだったっけ?」と。

それからもうひとつ。これもインタヴュー中でグレートマエカワが言及しているが、竹安堅一は、日本のロック・ギタリストの中でトップクラスの、クソかっこいいギターを弾く男である。僕はキュウちゃん(The Birthday)と飲むといつも、「竹安のギターはすげえのに、世間的な評価が不当に低い」という愚痴を言い合うことになるのですが、その竹安の真価が前に出ているアルバムでもあります。「ぐだぐだ」という言葉をそのまま人格化したような、本人のキャラクターとは切り離してお楽しみいただければ、幸いです。

© Sony Music Associated Records Inc. All rights reserved.